2022年1月5日 掲載
2022年5月9日 更新

横浜で、鎌倉時代を旅しよう!

横浜の歴史は開港に始まる、と思っていらっしゃる方が多いのではないでしょうか。
実は、鎌倉幕府隣接の港町・六浦湊として栄えた横浜市金沢区、
そして鎌倉時代に活躍した武将で、幕府を開くときにも力をつくした畠山重忠の終焉の地である旭区、
その他にも横浜には、鎌倉時代をしのぶ史跡や、ストーリーが数多くあります。
このページでは、2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の
「鎌倉時代」にゆかりのある横浜市内の史跡を紹介します。

~ ゆかりの地巡りにはこちらをお供に! ~

横浜市内の「源頼朝・北条政子ゆかりの史跡」「金沢北条氏の拠点」
「鎌倉時代からの貿易港 六浦湊」を巡る

鎌倉幕府を創設した源頼朝やその妻北条政子ゆかりの神社等の史跡が横浜市金沢区にもあり、またこの地は幕府隣接の港町・六浦湊として栄えた場所でもありました。

鎌倉幕府の御家人の一人である和田義盛の三男・朝夷奈三郎義秀が一晩で切り開いたという伝説から名がついた朝夷奈切通により、江戸の内海や北からの物資は六浦から鎌倉に輸送しやすくなりました。

源頼朝のゆかりの地

源平合戦を制し、鎌倉幕府を創設した初代将軍。朝廷から政権を手繰り寄せ、史上初の武家政権を成立させました。

  • 瀬戸神社(源頼朝のゆかりの地)

瀬戸神社

元来、この地は入海の瀬戸(狭い海峡)で干満時に急流となり、海上交通の難所であったため、5~6世紀の頃から海神を祀っていたようです。この霊地に源頼朝が挙兵に際して戦勝を祈願した伊豆三島明神を勧請したのが瀬戸神社の始まりです。鎌倉時代から伝わる多数の文化財が保存されており、なかでも源実朝が使用し、母の北条政子が奉納したといわれる舞楽面二面(抜頭面と陵王面)が平成12(2000)年、国の重要文化財に指定されたことが特筆されます。

住所 横浜市金沢区瀬戸18−14
アクセス 京急線、シーサイドライン「金沢八景」駅から徒歩2分
  • 富岡八幡宮(源頼朝のゆかりの地)

富岡八幡宮

建久2(1191)年に源頼朝が、鎌倉の鬼門にあたる富岡に鬼門除けとして造営し、摂津西宮神社の蛭子尊の分霊を勧請したのが始まりとされています。鎌倉 鶴岡八幡宮と同じ頃の創立の古社です。

住所 横浜市金沢区富岡東4-5-41
アクセス 京急線「京急富岡」駅から徒歩8分
シーサイドライン「並木北」駅から徒歩10分
横浜市営バス4系統「宮ノ前」から徒歩3分
  • 龍華寺(源頼朝のゆかりの地)

龍華寺

源頼朝が瀬戸神社を建立した後、文覚上人と共に瀬戸神社の別当寺として六浦山中に建てた「蔵福寺(のちに浄願寺と改名)」が始まりといわれています。その後、戦乱や火災で浄願寺の伽藍が荒廃したため、明応8年(1499)融弁上人(ゆうべんしょうにん)が、兼務していた光徳寺と併合し、当地に移り、龍華寺となりました。
牡丹などの華の寺としても知られます。

住所 横浜市金沢区洲崎9-31
アクセス 京急線「金沢八景」駅から徒歩7分
  • 橘樹神社(源頼朝のゆかりの地)

橘樹神社

鎌倉時代初期の文治2(1186)年、源頼朝の天下平定を祝い、また厄除歳寿・子孫繁栄を祈願して京都祇園社(現在の八坂神社)の分霊を勧して創建したと伝えられています。古くは祇園社と称し、江戸時代には牛頭天王社、明治初年に橘樹社と改称され、大正10(1921)年に現在の橘樹神社となりました。
当初は旧道(古東海道)の古町通りにありましたが、新道(旧東海道)ができたのち、万治3 年(1660)頃に現在地に遷座したといわれています。本殿裏手には神田不動尊と横浜最古といわれる寛文9(1669)年記銘の青面金剛庚申塔があります。その他、天和2(1682)年、明和元(1764)年の2基の庚申塔もあります。

住所 横浜市保土ケ谷区天王町1-8−12
アクセス 相鉄線「天王町」駅から徒歩5分
  • 弘明寺

弘明寺

天平9年(737年)開創の横浜最古と称される寺院で、源頼朝が幕府の祈願所とし、鎌倉幕府の保護を受け栄えました。鎌倉時代に成立したと言われる坂東三十三観音巡りの第14番札所としても知られます。本尊の十一面観世音菩薩立像は、国の重要文化財に指定されています。

住所 横浜市南区弘明寺町267番地
アクセス 京急線「弘明寺」駅から徒歩 2分、
横浜市営地下鉄「弘明寺」駅から徒歩 5分
  • 若宮八幡宮

若宮八幡宮

源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、鎌倉の鬼門にあたる横浜の地の鎮護のために数カ所建てた寺社のひとつで、鶴岡八幡宮の境内社である若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられています。

住所 横浜市南区大岡1ー5ー1
アクセス 横浜市営地下鉄「弘明寺」駅から徒歩9分
  • 森浅間神社

森浅間神社

建久2(1191)年に源頼朝により創建されたという説や、源頼朝の祈願所であった権現堂のご本尊を安置、さらに建武2(1335)年に守邦親王(鎌倉幕府最後の第9代将軍)の守護仏を神社に安置したことで創建されたという説があります。
神社とその周辺の樹叢は、神奈川県の天然記念物に指定され、斜面に広がる樹木や、社叢林の中にある推定樹齢200年の木など、貴重な自然林が静かに残されています。
神社では毎年8月に、お囃子が鳴り響き、神輿や花山車が町内を練り歩くお祭りが行われます。

住所 横浜市磯子区森2-16-7
アクセス JR線「磯子」駅から徒歩15分
京急線「屏風浦」駅から徒歩10分
横浜市営バス70系統「日石住宅前」から徒歩5分

北条政子のゆかりの地

源頼朝の妻で、北条時政の娘。「御台所」と呼ばれながら、鎌倉幕府の基盤造りに貢献。実朝亡き後は摂関家から将軍を迎え、政子が将軍代行をする「尼将軍」となりました。

  • 琵琶島神社(北条政子のゆかりの地)

琵琶島神社

治承4(1180)年、源頼朝が三島明神を勧請して瀬戸神社を創建した時に、夫人の北条政子が夫にならって、日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられています。

住所 横浜市金沢区瀬戸2
アクセス 京急線「金沢八景」駅から徒歩3分
  • 御所台の井戸(政子の井戸)(北条政子のゆかりの地)

御所台の井戸(政子の井戸)

保土ヶ谷区内には、保土ケ谷税務署脇から横浜清風高校(旧明倫高校)方面へ向かう”かなざわかまくら道”があります。その途中の急な坂道(磐名いわな坂)を上ると政子の井戸とも呼ばれる御所台の井戸があります。この井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えがあり、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説もあります。「尼将軍政子の井戸はあふれいて朝あした涼しく蟹あそぶなり」という詩も残っています。

住所 横浜市保土ケ谷区岩井町71-4
アクセス JR線「保土ケ谷」駅から徒歩10分
  • 乗蓮寺

乗蓮寺

源頼朝の夫人である北条政子が建立した寺と伝えられています。
境内には、政子お手植えと伝わる榧(カヤ)の木と、政子が化粧のために使ったとのいわれのある井戸があります。

住所 横浜市南区井土ヶ谷上町33-1
アクセス 京急線「弘明寺」駅から徒歩8分、
京急線「井土ヶ谷」駅から徒歩9分

源範頼のゆかりの地

源頼朝の異母兄弟。木曽義仲追討、平氏追討では義経とともに頼朝軍の大将軍として大任を果たしました。鎌倉幕府成立後も頼朝の兄弟として活躍しましたが、謀反の疑いがかかり建久4(1193)年に伊豆の修禅寺に幽閉され誅殺されました。

  • 薬王寺(源範頼のゆかりの地)

薬王寺

源頼朝の弟・三河守源範頼は、伊豆修禅寺にて梶原景時に攻められ自刃しました。源範頼の別邸の地、瀬が崎に範頼の霊を弔うために建立された真言宗の寺で、薬師寺と称し、衰えましたが再興され、その後三療山薬王寺となり現在にいたります。本尊の薬師如来は、源範頼の念持仏といわれています。
鎌倉時代末期の聖観音菩薩像、金剛界(こんごうかい)・胎蔵界曼陀羅(たいぞうかいまんだら)等の昔からの法具が伝わっています。源範頼の位牌を奉り、毎年8月24日の命日には「三河忌」として追善供養を行っています。

住所 横浜市金沢区寺前2-23-52
アクセス シーサイドライン「海の公園南口」駅から徒歩5分
京急線「金沢文庫」駅東口から徒歩15分
  • 太寧寺(源範頼のゆかりの地)

太寧寺

太寧寺の前身は、源範頼により瀬ヶ崎に創建された真言宗の薬師寺といわれています。この薬師寺は、寺前に移転し現在の薬王寺となり、当初の薬師寺のあった場所に範頼の菩提のため鎌倉時代に範頼の戒名に因み、太寧寺が開かれました。

住所 横浜市金沢区片吹61-5
アクセス 京急線「金沢文庫」駅から徒歩15分

上総介広常のゆかりの地

上総介広常は、坂東随一の大豪族的領主で2万の兵を率いて頼朝の軍営に参集し鎌倉幕府の樹立に大きく貢献しました。しかし、頼朝に態度が悪いと思われ、梶原景時に首を切られました。

  • 上総介塔(上総介広常のゆかりの地)

上総介塔(かずさのすけとう)

この塔の主がどの上総介であるかには諸説あるようですが、地元では、上総介広常として伝わっています。道の傍らにある石塔は、昭和59年に地元の有志により復元されました。

アクセス 京急線、シーサイドライン「金沢八景」駅からバス「朝比奈」下車すぐ

和田義盛のゆかりの地

和田義盛は、相模国の三浦郡和田を本拠地とする武士で、源頼朝の挙兵に参加し平氏追討・奥州征討に戦功を立て侍所設置とともに初代別当となりました。頼朝の死後は、幕政の合議に参画。1213年北条氏の他氏排斥計画で一族とともに滅びました。

  • 朝夷奈切通(和田義盛のゆかりの地)

朝夷奈切通(あさいなきりどおし)

和田義盛の三男・朝夷奈三郎義秀が一晩で切り開いたという伝説から、この名がついています。和田一族滅亡後、鎌倉幕府がこの峠道の開削にかかり、執権北条泰時は自ら現場に出て監督をしたといわれています。
この道が開かれると、江戸の内海や北からの物資は六浦から鎌倉に輸送しやすくなりました。
朝夷奈切通は鎌倉切通の1つで、国の指定史跡になっています。

アクセス 京急線、シーサイドライン「金沢八景」駅からバス「朝比奈」下車徒歩5分
  • 水道みち向台公園 陣ケ下渓谷(和田義盛のゆかりの地)

水道みち向台公園 陣ケ下渓谷

この辺り一帯は古くから和田分と字名で言われている所です。鎌倉時代に源頼朝の家臣である和田義盛が狩りのため陣を張ったところで、陣の下にある渓谷に「陣ケ下渓谷」の名がついたといわれています。

住所 横浜市保土ケ谷区川島町797
アクセス 相鉄線「上星川」駅から徒歩15分

金沢北条氏一門のゆかりの地

  • 春の称名寺(金沢北条氏一門のゆかりの地)

称名寺

金沢北条氏一門の菩提寺。鎌倉幕府の要人・北条実時が六浦荘金沢の屋敷内に建てた持仏堂から発展が起源とされます。実時の孫・貞顕の時代には三重の塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院として全盛期を迎えました。
春の桜、初夏の黄菖蒲、秋の紅葉と四季折々の景観が美しく訪れる人の憩いの場所となっています。例年5月初めに境内で薪能が開演されます(2022年度は他会場で実施予定)。

住所 横浜市金沢区金沢町212-1
アクセス シーサイドライン「海の公園南口」駅または「海の公園柴口」駅から徒歩10分
京急線「金沢文庫」駅から徒歩12分
  • 金沢文庫 正面トンネル(金沢北条氏一門のゆかりの地)

神奈川県立金沢文庫

北条義時の孫にあたる北条実時がその邸宅内に造った武家の文庫に起源をもつ博物館です。
館内には、国宝・重要文化財に指定された数々の彫刻・絵画・古文書等が展示されているほか、1階奥に称名寺金堂の内部が復元されています。

住所 横浜市金沢区金沢町142
アクセス 京急線「金沢文庫」駅から徒歩12分
シーサイドライン「海の公園柴口」駅から徒歩10分

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横浜市内で「鎌倉武将の鑑 畠山重忠公」ゆかりの地を巡る

武将・畠山重忠ゆかりの史跡が、横浜市旭区を中心にたくさん残っています。また、六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催されています。

畠山重忠のゆかりの地

畠山重忠は、鎌倉時代に活躍した武将で、幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝にたいへん信頼されていました。平氏全盛の時代に、現在の、埼玉県深谷市畠山(旧川本町)で生まれ、嵐山町に屋敷を構えていました。重忠は、源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したといわれています。

清廉潔白、誠実、思いやりがあり、怪力の持ち主であるとともに、芸事にも秀で「知仁勇」を兼ね備えた名将ですが、幕府の権力争いにまきこまれ、鎌倉に向かう途中、現在の横浜市旭区鶴ケ峰付近で討ち死にしました。

  • 六ツ塚(薬王寺)(畠山重忠のゆかりの地)

六ツ塚(薬王寺)

重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋葬したと伝えられている六つの塚があります。この六ツ塚は、重忠の御霊が祭られ霊堂になっている薬王寺の境内にあります。

住所 横浜市旭区鶴ケ峰本町2-15-9
アクセス 相鉄本線「鶴ヶ峰」駅から徒歩13分
  • 畠山重忠公首塚(畠山重忠のゆかりの地)

畠山重忠公首塚

重忠の首が愛甲三郎季隆に斬られ、祭られたところといわれています。

住所 横浜市旭区鶴ケ峰1-3-7
アクセス 相鉄本線「鶴ヶ峰」駅から徒歩5分
  • 重忠公碑(畠山重忠のゆかりの地)
  • さかさ矢竹(畠山重忠のゆかりの地)

重忠公碑・さかさ矢竹

重忠没後750年を記念して建立。公碑の隣に生えている竹は、重忠が矢に当たった際に「わが心正しければこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と矢を突き刺したことにちなみ「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったと伝えられています。

住所 横浜市旭区鶴ケ峰本町1-1
アクセス 相鉄本線「鶴ヶ峰」駅から徒歩6分
  • 畠山重忠内室の賀籠塚(畠山重忠のゆかりの地)

畠山重忠内室の賀籠塚

重忠の内室「菊の前」が、この地で夫の戦死を悲しんで自害しました。ここに賀籠ごと埋葬されたと言われています。

住所 横浜市旭区鶴ケ峰本町2-39
アクセス 相鉄本線「鶴ヶ峰」駅から徒歩13分
  • 畠山重忠公遺烈碑(畠山重忠のゆかりの地)

畠山重忠公遺烈碑

重忠をしのんで、地元の有志57人が明治25(1892)年に建立しました。遺烈碑のある「万騎が原」は、重忠を討つために北条勢がここに数万騎の陣をかまえたことにちなみます。

住所 横浜市旭区万騎が原104
アクセス 相鉄本線「二俣川」駅から徒歩14分
  • 東光禅寺(畠山重忠のゆかりの地)

東光禅寺

畠山重忠の開基により、弘安5(1282)年 建長寺第六世大興禅師を請じて開山したと寺伝にあります。本尊は重忠の念持仏であった薬師如来で、脇仏は左に日光、右に月光の二菩薩、さらに、十二神将を従えています。境内には、畠山重忠の供養塔があります。

住所 横浜市金沢区釜利谷南2-40-8
アクセス 京急線「金沢文庫」駅から徒歩25分
  • 常盤公園(畠山重忠のゆかりの地)

常盤公園

源頼朝の死後、畠山重忠が鎌倉に向かう道中で鶴ケ峰で討ち死にした際に、この場まで逃げてきた家来を慰霊するための石碑(畠山重忠の名が刻まれている)があります。

住所 横浜市保土ケ谷区常盤台42
アクセス 相鉄線「和田町」駅より徒歩15分
  • 神明社(榛谷御厨)(畠山重忠のゆかりの地)

神明社(榛谷御厨)

畠山重忠の一族であった榛谷四郎重朝は、所領を伊勢神宮(神明社)に寄進したため、その一体が榛谷御厨と呼ばれるようになりました。源頼朝から信頼を受け、頼朝死後も畠山重忠と梶原景時追討や比企一族討滅に加わりましたが、重忠が亡くなった翌日に謀略の罪に問われ、北条氏の命により三浦義村に討たれ滅亡しました。「榛谷」(はんがや)は、「保土ケ谷」(ほどがや)の地名の由来の一つとも言われています。

住所 横浜市保土ケ谷区神戸町107
アクセス 相鉄線「天王町」駅から徒歩6分

『畠山重忠 ゆかりの地マップ ~重忠歴訪~ふるさと旭を再発見!』を横浜市旭区で配布中!

【配布場所】
  • 旭区役所、二俣川駅行政サービスコーナー
  • 観光案内所(桜木町駅、横浜駅、新横浜駅)
  • SUTAYA鶴ヶ峰駅前店、くまざわ書店 ジョイナステラス二俣川店
  • 畠山重忠公二俣川駅情報発信コーナー(~2/28)

※下記施設ではA3版の小さいサイズのマップを配布します。
市内図書館、地区センター、コミュニティハウス、公会堂、こどもログハウス、老人福祉センター横浜市福寿荘、区民文化センター

【配布期間】
 2022年1月~ ※なくなり次第終了

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重忠公にちなむ逸品

  • 秩父錦特別純米酒 旭の重忠
  • 旭の重忠シリーズ豆腐 (旭の重忠豆腐 青木屋)
  • 重忠銘茶((株)佐々木園)
  • 重忠最中(手づくりの和菓子 若草)