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万巻の書を護るべく、波濤を越えて来日した唐の国の猫たち。
いま、その末裔が静かにくつろぐ称名寺へ。

称名寺は鎌倉時代、北条実時が邸内に建てた持仏堂が起源といわれている。『吾妻鏡』によれば、源頼朝も持仏堂を建て法華経を誦(じゅ)したといわれているので、武家が持仏堂を建てるのはあたりまえのことだったらしい。仁王門横の通用門をくぐると目に飛び込んでくる境内の光景は、初めて訪れる人であれば感嘆の声をあげるだろう。阿字ケ池にゆるやかな太鼓橋(反橋)をかけ渡し、境内全体が庭園であり、なるほど、実時をはじめ当時の武士たちが夢想した極楽浄土もかくや、と思われる。 この称名寺の一隅にある金沢文庫も、自ら集めた蔵書を収めるべく実時が造ったもの。その蔵書コレクションは、唐からの仏教書や漢籍が多かっただろうが、国文学者の田中貴子さんによれば※、これら万巻の書に随伴して唐猫も船に乗ってやって来たそうだ。貴重な書籍を鼠から護るためだが、唐の猫たちはそのまま日本に土着して、地元の人々の間では他の猫とは区別して「かな」と呼ばれるようになったという。金沢文庫の「かな」である。称名寺を散策していると、おだやかな表情の猫を見かけることがあるが、これが唐から経典を護るため荒海を越えてやってきた唐猫の末裔かと思うと、なにやらありがたいような、愛おしいような。かな、と呼べば振り向いてくれるだろうか。※田中貴子「猫の古典文学誌」(講談社学術文庫)

称名寺

横浜市金沢区金沢町212-1
TEL; 045-701-9573
京急線「金沢文庫駅」から徒歩約12分
シーサイドライン「海の公園南口駅」 または「海の公園柴口駅」から徒歩約10分
駐車料金:30分100円

よく晴れた一日、里山にいだかれた村に遊ぶ。
釣果なしとて得るものあり。

初めてこの村に足を踏み入れた人なら、懐かしさにかられて思わず嘆声をあげるのではないだろうか。里山にいだかれた青々とした田がひろがる昔ながらの日本の村の風景である。あちこちには池も点在する。小高くなった鎮守の森で村を見守るのは熊野神社だ。むじな池とか熊の池とか名づけられた池のたたずまいもいい。遠い昔、むじなが人を化かしたり、熊が水浴びにきたのだろう。その名前自体がひとつの民話のように感じられる。ここ「寺家ふるさと村」は、大都市横浜にあって、いまなお古い日本の村の面影をそのまま伝えてくれる貴重な場所なのだ。田園都市線の青葉台駅、市が尾駅、小田急線の柿生駅などからバスが出ており、気軽に訪れることができる。寺家ふるさと村に着いたなら、まずは総合案内所となっている四季の家を訪ねるのもいいだろう。ガイドツアーなどを受ければ村の全容やポイントもつかみやすい。池は熊の池だけが、へらぶなの管理釣り場として有料で開放されている。この寺家ふるさと村を訪れたからには、ぜひ一度へらぶな釣りも体験しておきたいところだ。管理釣り場といっても、自然の野趣を味わいながらのんびりとした時間が過ごせることうけあいである。釣りを楽しんで、また村にもどれば日も暮れよう。釣果なしとて得るものあり。そんなよい一日を過ごせるに違いない。

寺家ふるさと村 熊の池

横浜市青葉区寺家町848
開園時間 
4〜11月/土日祝6:30〜16:10 平日 7:00〜16:10
12〜3月/全日 7:00〜16:10
定休日:火曜日(祝日の場合は営業)

都会にある渓谷に下り立ち、つかのま幽谷の雰囲気を味わう。
これもまた横浜という都市の魅力。

都会で探検といえばあくまで比喩。高層ビルを森に、路地裏をけもの道に見たてる言葉遊びのたぐいでしかないが、横浜にはれっきとした探検を実感できるエリアがある。陣ヶ下渓谷である。公園として公開されたのは2004年の近年であるが、その名は鎌倉時代の御家人にして侍所別当であった和田義盛が狩りの陣を張ったことに由来するという。たしかにここ保土ケ谷は、起伏の激しい地形で、中世のころはさぞ見晴らしもよく、狩りをするにはうってつけの土地であっただろう。そして狩りで渇いた喉を武将たちが、この渓谷の水でうるおしたかもしれない。水流の源頭はどこにあるかさだかではないが、湧水が出ていることはまちがいなく、公園の駐車場から歩いて10分もかからずに、渓谷に下り立つことができる。登山で渓流に慣れている人なら、遡行してみたくなるきれいな渓谷だが、都会で珍しいホタルの幼虫がいるため遡行は禁止。渓谷のせせらぎとひんやりした深山幽谷の雰囲気を味わうだけにしておこう。渓谷を楽しんだあとは、深い木立のあちこちに置かれたベンチに座って、ひととき憩うのもいい。野趣あふれるウッドテーブルの上では、コンビニで買ったサンドイッチと紅茶でもあれば無上のごちそうになるだろう。

陣ヶ下渓谷公園

横浜市保土ヶ谷区川島町1514
駐車場あり(普通車20台)
駐車料金:30分100円

昼なお鬱蒼とする木漏れ日の古道を歩く。
いにしえの人の息づかいが聞こえるような道である。

朝比奈切通しといえば、鎌倉時代の昔を偲ばせる古道としてあまりにも有名だが、同時に、名のみ高くして歩かれざる道としてもまた筆頭であろう。かつては馬上の武士たちがおそらく馬をおりて荒い息づかいで手綱を引いて歩いたはずの道である。あるいは輿(こし)に乗った女人が思いを胸に通った道であっただろう。だが、往事茫々。人びとの姿は消え、ただ昼なお鬱蒼として木漏れ日のさす狭い切通しだけが残っている。横浜と鎌倉にまたがるこの切通しを、横浜側から歩く。ところどころに標識があるから迷うことはない。横浜横須賀道路の下をくぐり、江戸期になって祀られた庚申塚を右手に登りはじめる、すぐに両側から崖が迫ってくる。鎌倉に入る切通しである。道はよく踏まれ、晩秋ともなれば落ち葉で埋もれる。両側に露出する岩は凝灰岩だろう。鎌倉に多いこの岩は、その柔らかな岩質から「やぐら」という横穴式の墳墓を造る格好の土台となった。そのやぐらのそばに、亡き人を見守るように磨崖仏(まがいぶつ)が彫られていたりするのもなにやら想像をかき立てられる。鎌倉時代の史書『吾妻鏡』によれば、この切通しを整備したのは北条泰時。だが、和田義盛の子で勇猛な武将として知られる朝比奈義秀が一夜でひらいたという稗史(はいし)もある。地名に残るその名を偲んで歩くのもまた一興か。

朝比奈切通し(朝夷名切通し)

横浜市金沢区朝比奈町峠坂1番地
京急「金沢八景」駅から神奈中バスで10分
「朝比奈」バス停から徒歩5分
※2019年9月3日の大雨により発生した倒木及び土砂崩落の影響で、朝夷奈切通(朝夷奈切通入口から鎌倉市との境界まで)は通行止めとなっています。2021年2月現在では復旧の予定は未定のため、お出かけの際は横浜市のホームページ等でご確認ください。

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