アメリカ山公園 歴史パネル展「ヴィクトリア・パブリックスクール ―居留地の少年たちが通った山手のインターナショナルスクール―」

このイベントは終了しております。

アメリカ山公園 歴史パネル展「ヴィクトリア・パブリックスクール ―居留地の少年たちが通った山手のインターナショナルスクール―」 

アメリカ山公園では、2023年4月1日(土)から5月31日(水)まで、歴史パネル展「ヴィクトリア・パブリックスクール ―居留地の少年たちが通った山手のインターナショナルスクール―」を開催します。

アメリカ山公園は、地域活性化を目指す取り組みの一環として、居留地時代にブラフ97番地(現 アメリカ山公園)に住んでいた英国人医師エドウィン・ウィーラー一家と山手地域の歴史に関するパネル展を過去4回にわたり開催しています。
今回の新たな展示においては、ウィーラーの息子たちをはじめ、おもに欧米人の少年らが通った男子校ヴィクトリア・パブリックスクールを取り上げます。

このイベントは終了しております。
開催日 2023年4月1日(土)~5月31日(水)
場所 アメリカ山公園 建物3階パブリックスペース
エリア 元町・山手・中華街・山下公園
料金 無料

ヴィクトリア・パブリックスクールはヴィクトリア女王即位50年の記念事業として、横浜の英国人が深い思いを抱いて立ち上げた特別な学校でした。生徒数わずか60名程度、存続期間7年という短命さゆえに歴史に埋もれてしまった同校ですが、それは当時の英国人コミュニティの姿を映す鏡であり、また今も私たちの記憶に残る幾人かの人々が出会い、活躍した場でもありました。

「四次元」という概念を広めた先駆けである世界的数学者チャールズ・H. ヒントン、後に小泉八雲の名で知られることとなる作家ラフカディオ・ハーン、関東大震災の体験記『古き横浜の壊滅』の作者として知られるO. A. プール。そして慶應大学の学生にラグビーを教えたことから「日本ラグビーの父」とされるE. B. クラークと田中銀之助が出会ったのもまたヴィクトリア・パブリックスクールの教室でのことでした。二人は同校卒業後ケンブリッジ大学で学び、帰国して後、クラークは教育者として慶應大学や京都大学で教鞭をとり、田中は明治・大正・昭和にかけて実業界において活躍しました。

同展ではヴィクトリア・パブリックスクールに関する英字新聞の記事から明らかになった、開校までの歩みと学校生活、閉校に至った経緯、教師や生徒の顔ぶれなどを紹介します。卒業生の子孫の方からご提供いただいた当時の貴重な写真も見どころのひとつです。

※イベント内容・スケジュールは直前で変更される場合もあります。詳細は主催者のホームページ等でご確認ください。

お問合せ アメリカ山公園パートナーズ
受付電話番号 045-232-4661
URL
※詳細は主催者のホームページ等でご確認ください。

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